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日記帳。
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お疲れモード/宴
義姉弟の場合。


「……疲れた。」

きつい。つらい。くるしい。いたい。
我慢が足りないのはわかってる。忍耐力なんて最初からないようなものだし。すぐ顔に出るのも困りもの。ぽーかーふぇいすってどうやんの?なんでもないよ。そんなこと。ねぇどの口がそれを言ってるの。泣きそうだなと思った。でも涙は流れてこなかった。全部投げ出してしまいたくなるのは駄目なんだってわかってるのに、とまれないとまらないどうしよう。

「そう。」

口の端から漏れたような、その一言に対する言葉は、その一言だけだった。
そして、きんっと澄んだ金属の音。もうひとつは、突き刺すような殺気。反応が、遅れてしまったことは否めなかった。咄嗟に横っ飛びに飛んで捻ろうとした横腹を、ぎざりとした刃先が遠慮なく抉る。真っ直ぐ突き立てられず斜めに肉を断ち皮膚を裂く。

「がっ、ぁ、…ぁぁ、あぁぁぁ!!!!」

あつい。
焼けた火箸でも押し付けられたような感覚。つま先まで痛みが駆け抜けて一瞬身体が硬直する。背中を引きつらせて伸び上がった。少しでも距離をとろうと身体を捩れば、追いすがるように遠慮なく力を込めてくる。さらに肉を裂いて体内に潜り込もうとする刃を掌で掴んで止める。握り締めた刃の感触は、ただひたすらに鋭かった。握り締めた分だけ、掌に食い込む刃は流れた血ですべる。がたがたと、震えていた。
何をするのだと、いいかけた。叫びかけた。そして義弟を見た。
…何もなかった。
感情の浮かばない白い貌。無機質な金色の瞳。殺される。と、そう思った。

いやだ。

いやだいやだいやだいやだしにたくないしにたくないしぬのはいやこわいこわいこわいこわいしぬのはいやしぬのはいやころされるいやだしぬいやころされるくらいなら


ころしてやる。

ぶつん。っと頭の奥で音がした。すっと頭から血が抜けていくような、血の気の引くような感覚。喚き散らしていた思考がぴたりと静まり考えるより先に身体が動いていた。

ナイフを止めていた手を離してそのままその白い顔に振り上げる。どうということはない。眼を抉ろうとしただけだ。尖らせた爪はその眼球に届くことはなく、ただ、薙ぎ払いざまに届いた頬の肉を少しだけ、削り取る。
頬に、二本。歪な引っ掻き傷というには物騒すぎる、削り傷。
咄嗟にナイフから手を離し、後ろへ跳躍して逃げられたのだと悟り、チッと舌打ちが漏れる。脇腹にはまだ凶器が刺さったまま、ぐっと、背中を丸めるように重心を落として、飛び出す。
血液が流れている。力を入れた拍子に腹から飛沫いたそれを気にも留めずに。
口から声が漏れていた。獣の唸り声のような、あまりに人間らしくない悲鳴だった。そして同時にそれは威嚇であった。慟哭であった。純然たる殺意であった。ころしてしまおう。と思っていた。
奪われる前に奪え。殺される前に殺せ。
あぁ寒い。さむいさむい。
喉が張り裂けるのも厭わない咆哮を叩きつけて、引き絞られた矢弓のように。

真っ赤だ。目の前の、それだけを除いて、一色に染まった視界で、剣すら構えず退化して脆弱な人間の爪牙で飛び掛った。飛び掛っていた。

首の皮に歯が食い込んでいた。ふぅふぅと、落ち着かない吐息が口端から漏れてそれを塞ぐように顎に力を込めた。とくりとくりと血の流れが少しだけはやい。胸鎖乳突筋がわずかに緊張しているのを唇で感じる。けれどそれは経験からしたそれとは違っていた。もっとがたがたとみっともなく震えるものだ。歯の根も合わぬとはうまくいったもので、打ち鳴らす音すら聞こえてしまいそうなほどに。硬直かと思われるほど強張る筋肉も感じられず不思議に瞳だけでちらりと見やれば仰向けに倒れ、喉元に食いつかれているとは無縁なほど、穏やかな貌。

「ほら。まだ生きたいって言ってるじゃない」

ばかだね。と笑うような調子で頭を撫でられる。
ふっと、視界の赤が消え失せてもう呆気にとられるというのが正しいような。思い出したように痛みを訴える脇腹からずるりとナイフが抜け落ちる。ぼたりぼたりと立ち込める鉄錆にもにた匂いに、あぁ、と思わず力を抜いて能力を発動させる。ふわりと羽ばたいた鴉揚羽が傷を舐めるようにして癒していくのをぼうと見遣り、同じく宙に描いた液体を具現化させ傷を癒す義弟に、

「ばか。」

背骨と背筋。使えるすべての力を振り絞った渾身のライジングヘッドバットぶちかました。
回避困難の味を思い知れ。いてぇじゃねぇか。ばかやろう。




幸せになったから、その分を不幸で塗り潰されるのだ。ものごとは等価交換で成り立っている。現状の幸福という加速度が乗算してそのあとにくるものはなんだというのだ。痛みを感じているうちならまだいい。こわいのは痛みを感じなくなったときだ。
責任をとらなければならないのだ。能力者としての。あの血を受け継いで生まれてきたことへの。この途を選んだことに対しての。握った拳を振り下ろし、箱庭を壊すことに対しての。
たおやかな悪夢に身を浸す。のべつまなく。この醜悪に眼を潰されて、振り切るには、ほんのひとかけらばかり覚悟が足らない。それは首に押し当てた刃を引き抜くのと同じような気配がした。仕損じては傷口ばかりが主張する。躊躇い傷になど誰が同情するものか。
望みは果てにあるという蒼穹。けれどそれだけは、かなえられないことを知っている。
ただただ赤く血塗られた途をゆく。眠れる場所を求めて。


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